無法松の一生

昭和43年 戦時中に製作された映画です。

以前 観た記憶がありますが、先日BSで再び観る幸運を得ました。

舞台は小倉 年代設定は明治30年、若い頃から荒れた生活を送ってきた 松五郎の今の職業は車夫だ。

ある日 堀に落ちて怪我をした少年を助けた事から、彼の人生は変わっていく。

少年を送り届けた家は陸軍大佐のお宅であった。

当時 下層階級だった車夫と父親は共に酒を交わす。

松五郎は、その後もこの一夜の温情を決して忘れる事は無い。

程なくして急死した父親に代わって、吉岡家の下働きや、ひ弱な敏雄の面倒をみるようになっていく。彼の幼い頃の貧しい身の上、母を無くした寂しさを想う時 松五郎は淑やかで美しい奥方に恋慕しつつ、敏雄を立派な青年に育てる事に心血を注ぐ半生を送るようになっていく。

やがて、敏雄は凛々しい青年に成長した。高等学校の夏休みに帰省した折に

同行した恩師に小倉祭の賑わいを見せた際に、松五郎が見せた祇園太鼓のバチ捌き

これぞまさに、一世一代の晴れ姿 (今や打ち手は居ない・・と思われていた伝統的 まぼろしの流れ打ち、勇み駒、暴れ打ち。

実際に松五郎役の坂東妻三郎は撥を持ち演じ切っていました。

この雄姿、音の響きに思わず涙が零れ落ちました。

松五郎の最期の様子は描かれていない。

亡くなった時に僅かな手荷物の入る柳行李の底には、今まで折々に奥様から頂戴したお礼の一封と、頂いた書状、そして車引きで稼いだ僅かな給金の中

敏雄名義の通帳。が大切に保管されていた。

「無法松の一生」を私は『純な男の一生』と呼びたい。

凛と咲く少し肉厚な純白の花・・・クチナシの花を胸中に秘めながら

真っ直ぐに大車輪を引き続けた一生であった!と思うのです。

 

約80分の映画が終わり、余韻に浸る中 続けて映ったのは製作秘話です。

1943年は、まさに戦時下、当時フイルムは貴重品で戦時高揚の映画のみ製作を許される。という中での製作は困難の連続

そして公開には内務省の厳しい検閲があったそうです。

日清戦時下で大尉であった吉岡家の寡婦に恋心を打ち明ける松五郎のシーン等は完全に削除されetc

公開された映画を観た、奥様役の園井恵子は「これでは松さんが、あまりに可哀そう」と言われた逸話も残っています。

そして、女優の園井さんは程なく広島で原爆死されたとの事。

1958年 原作 伊丹万作 脚本 監督の稲垣浩はこの作品が戦中は内務省、戦後はGHQにより検閲を受け削除を余儀なくされた二度にわたる屈辱を晴らす為に、再度

完全な形での作品製作を思い立つ。

松五郎役には三船敏郎、吉岡夫人役は高峰秀子。私が最も好きな御両人!

この作品はベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞されました。

是非 この作品も機会をみて視聴したいと思っています。

 

松五郎の人生を通して、私は誰もが望む幸福につて今一度考えてみる。

先日 山中教授と研究者が出演してIPS細胞の可能性について、様々な事例の紹介があった。

今や人間はIOS細胞を用いて内臓器官はもとより生殖行動無しで、ラット(実験用のネズミ)を生み出す事も可能になった。と言われていた。

 

長寿を得るのは喜ぶべき事かも知れない。でも 私は淡々として生を全う出来たら良い・・・。と思う。

松五郎は逞しい胸中に小さな真っ白い花を。私は、細いけれど一本の真っ直ぐな道を照らしす燈火を胸に生きてゆこう。